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■北山・法華本門寺根源 「鉄砲御本尊、鉄砲曼荼羅」




 
(北山・法華本門寺根源)

 日蓮弟子の六老僧日朗上人が訪れた北山・法華本門寺根源(重須)で、日蓮大聖人等身の坐像(北山本門寺ご本尊)を拝して「我が師いずれにおわすかと思いしに、当山におわせしか」と・・・その肩に抱きつき感涙なされたとの言い伝えがあります。

(日蓮大聖人の伊豆法難(流罪)に於いて、護送の船縁に縋った日朗上人の肩は、櫂(かい)で打ち砕かれました。生涯片腕が御不自由でした)


 
(北山・本門寺 本堂)

四月十三日、「御風入りの法要」があり参加させてもらいました。
厳として威があれど、その身姿はお優しい。
以前にも訪れましたが、手違いで拝観できませんでしたので、満を持した念願の拝観でした。



嬉しいことに・・・
今回特別な行事として、御霊宝の「日蓮大聖人御真筆御曼荼羅」、「日興聖人御真筆御曼荼羅」を真近に拝観できました。一般には宣伝していなかったので想定外のことでした。 (堂内は撮影禁止)


どおりで遠くから拝観に訪れる若い僧侶が堂内に多いはずです。
僧侶であっても滅多に無い貴重な体験なのですから。


日蓮大聖人御真筆御曼荼羅の別称 鉄砲御本尊の謂れは、法灯を護る僧の御物への想いについて考えさせられました。



 


(日殿御上人は必死な想いで門前にて直訴したことでしょう。蹴られても杖で打たれても)

伝えられた寺伝では・・・
武田信玄公の跡継ぎの武田勝頼が西山・本門寺の訴えを聞きいれてしまい北山・本門寺の重宝百数点を没収。
日殿御上人が甲府の武田勝頼に愁訴したが聞き入れられず、やむなく本堂生御影の霊前に於いて命懸けの断食行に入り「霊宝還住の祈願」をなされて遷化された。 (天正十年二月五日、1582年五十七歳没)



 


(甲府・舞鶴城跡)

その後、織田信長の武田攻めに際して、徳川家康が重須の地に軍を進めた折、日出御上人は重宝の返還を懇願した。武運長久と陣中安全のため日蓮大聖人の御本尊をおくった。

家康は武田軍と交戦中、鉄砲に撃たれるも弾丸が懐中の折りたたんで所持していたご本尊にあたった。
しかし宗祖御花押の処で止まり危うきを免れた。 (武田軍には手練れの狙撃主がいる)


勝頼は天目山に於いて、決死で守護する家来たちもなく露と消える。
武田家は、あっけなく滅亡したのです。 
(天正十年三月十一日)

家康は御花押の部分を切り抜いて、改めて護身のお守りとして陣羽織を持って表具し北山・本門寺に納めた。


そして感じ入ったのでしょう、家康は甲府に収蔵されていた重宝を重須に返納させたのです。
更に、重須の水利が不便を聞き、堀を造って水利の便をならしめた。
この由来により「鉄砲御本尊、鉄砲曼荼羅」と別称す。


 
(日尊上人腰掛の石 季節外れのあげは蝶)

 私は、末期の「一念三千」の終焉地を訪れたいと思っています。


池上・本門寺には日蓮大聖人の荼毘の跡があります。
鎌倉・安国論寺には日朗聖人の荼毘の跡があります。
北山・本門寺には日興聖人の荼毘の跡があります。
荼毘の跡に訪れる者は僅か。


人は終焉に於いて最後の持念を発します。
日殿御上人の覚悟の断食行の持念は、四百数十年過ぎても留まり続けているのでしょう。


 
  (北山・本門寺内)


それが法灯を護り伝えるのです。
現世の利益は度外視。


 

この日、霊峰富士山を見上げる北山・本門寺を離れ、身延の祖山に登りました。
お礼を込めて・・・



 

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