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自ら慰安所に通ったごとくの認識で話す「村山富市韓国慰安婦講演」 


青山繁晴 村山富市韓国での慰安婦・村山談話講演に激怒!!
http://youtu.be/bxjelwstCf0



*村山氏には一年の「軍歴」はあるが、戦争に出征した「戦歴」が無い人物です。

普通、大正後期生まれの壮丁は、2回 ~4回の軍歴、戦歴がありました。

歳ばかり喰っていますが、幼稚な「戦場認識」に呆れます。「朝鮮慰安婦」など知らない内地で終戦を迎えたのです。無知なのに、詳しく知っている振りをしています

占領下での「GHQの宣撫工作」をまともに信じ込んでいるのが痛々しい。

未だに、米・韓・中と国内の左傾リベラル、左翼の後ろ盾に強気な発言を繰り返しています。

戦争で亡くなった遺骨の上で踊っているとしか見えません。

この老人には、日本人犠牲者が見えないのでしょう。

歪んだレイシストです。



 

村山 富市
(むらやま とみいち、1924年(大正13年)3月3日 - )は、日本の政治家。社会民主党名誉党首、学校法人明治大学顧問、ヘイトスピーチとレイシズムを乗り越える国際ネットワーク共同代表。勲等は桐花大綬章。
 
大分県大分市議会議員(2期)、大分県議会議員(3期)、衆議院議員(8期)、衆議院物価問題等に関する特別委員長、日本社会党委員長(第13代)、内閣総理大臣(第81代)、社会民主党党首(初代)、社会民主党特別代表(初代)などを歴任した。

来歴・人物
 
国会議員当選まで
 
1924年、大分県大分市の漁師の家に11人兄弟の6男として生まれた。1936年、大分市立中島尋常小学校卒業、1938年、大分市立大分高等小学校卒業後、東京に出て、昼間は機械工場や印刷工場などで働きながら、夜間は東京市立商業学校に学んだ。
 
1943年、旧制明治大学専門部政治経済科に入学。哲学研究部に属す。このころ、同じく明治大学に通っていた丸谷金保に誘われ、穂積五一が運営する学生寮「至軒寮」に入った。1944年、学徒動員で石川島造船所に配属された。同年、成人し徴兵検査を受け、学徒出陣で宮崎県都城市の陸軍歩兵第23部隊に二等兵として入隊した。1945年8月15日、幹部候補生として陸軍軍曹の階級で終戦を迎えた。
 
1946年、旧制明治大学専門部政治経済科を卒業した。1948年、大分県漁村青年同盟の書記長に就任した。漁業協同組合設立等の成果を収め漁村青年同盟が解散すると、その後は大分県職員労働組合の書記として活動した。
 
1951年、大分市議会議員選挙に立候補したが、次点で落選。1953年、ヨシヱ夫人と結婚。再起を期した1955年、大分市議会議員選挙に日本社会党から立候補し、当選(以後当選2回)。1963年、大分県議会議員選挙に支持者の後援で立候補し、当選(以後連続3回当選)。1972年12月、第33回衆議院議員総選挙に立候補し、トップで初当選(同じ自治体議員経験者たる社会党新人代議士に竹村幸雄)。以降、落選1回を挟み、通算当選8回。1973年には横路孝弘や田英夫らと「新しい流れの会」に参画。wikipedia

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